目次
このブログの趣旨と目的
ガネーシャの課題一覧
今回の課題:インターネットを一日断つ
思いがけず1日オフができたので、順番通りにこの課題を実践することができました。早速シェアしたいと思います。
毎回最初に引用しているのはガネーシャの言葉です。そして本来ガネーシャは関西弁でしゃべる神様です。しかし、自由に自分の姿形を変えることのできるガネーシャが『夢をかなえるゾウ0』ではいろいろな姿で主人公に語りかけているので口調がさまざまになっています。この場面は土佐犬の姿をした「土佐ーシャ」が土佐弁で喋っています。
この課題の目的
引用で言及されている「マシュマロ」とは、実際に行われたある実験を引き合いに出してガネーシャが使っている比喩です。以下その実験について、本編からの引用です。
『マシュマロ実験』
スタンフォード大学の心理学者、ウォルター・ミシェルが実施した実験。被験者の子供は机と椅子が置いてある部屋に連れていかれ、椅子に座るよう言われる。机の上には皿があり、マシュマロが一つ載っている。試験官は「私は用があるので外出します。そのマシュマロはあなたにあげますが、私が戻ってくるまで15分間食べるのを我慢できたら、マシュマロをもう一つあげます。でも私がいない間にそれを食べたら、二つ目はなしです」と言って部屋を出ていく。そして、この実験に参加した子供たちのその後の人生を調べてみると、目の前のマシュマロを我慢して二つ目を手に入れた子供の方が社会的、経済的に成功していた。
夢をかなえるゾウ0 水野敬也
要するにこの実験は、長期的なメリットを優先できる人の方が偉くなったりお金持ちになったりする可能性が高いということを示しています。ガネーシャは一つ目のマシュマロをインターネットで手軽に楽しめることに見立てています。おそらく二つ目のマシュマロはもう少し時間をかけて「実物を見る」ことや、「生活に初めてを取り入れる」こと、「好きな匂い、物、人、場所を見つける」ことなどを通して手に入れられるものを意味しているのだと考えます。
ガネーシャいわく、人には「短期の欲求(寝たい、食べたい、楽しいことをしたいなど)」と「長期の欲求(お金持ちになりたい、世界一周旅行をしたい、温かい家庭を築きたいなど)」があります。ただ多くの人には、途中の苦しいことを乗り越えたり、わざわざ面倒なことをしてまで満たしたい「長期の欲求」がありません。それは、ポケットの中にある「スマホ」をただ「触る」だけで面倒なことをせずとも、ゲームや動画やSNSで欲求を簡単に満たすことができるからです。
これらのことを考慮した上で、今回の課題「インターネットを一日断つ」の目的を考えました。
一つは、「時間と心のスペースを空ける」ことです。今までスマホやタブレット、PCなどを使うことで費やしていた時間のスペースを空けることでそこに何が入り込んでくるのかを楽しみます。そして、スマホゲームのデイリーミッションをこなさなければいけない、SNSを定期的にチェックしなければいけない、常に何かをインプットしなければならない、いつ誰から緊急の連絡が入るかわからないなどという漠然とした不安を捨て、心のスペースを空けます。
もう一つの目的は、「インターネットとの付き合い方を見つめ直す」ことです。インターネットにコントロールされながら幸せになることは難しいです。しかし、インターネットをコントロールすることができればかなり幸せになれるのも確かだと考えます。どんな時にインターネットを本当に必要だと感じるのかなどを知るきっかけにもなると思います。
この目的を達成するべく、課題を実践してきました。
実践した結果
念のため、私が本当に一日インターネットを使わなかったことの説得力を上げるために、当日のiPhoneのスクリーンタイムを載せておきます。前日に夜更かしをしていたため、前日分の40分が算出されていますが、当日起きてから寝るまでは一切インターネットは使っていません。ちなみに、言語が英語になっているのは、私がイキっているからです。
今回の課題は老若男女問わず、全人類に実践をおすすめできるものでした。ここまでの課題の中ではダントツ一位でまずやってほしい課題です。「インターネットを一日断つ」にも方法はいくつかあると思いますが、今回私が実践した手順を参考にしていただけると幸いです。
アバカム式インターネット一日断ちの手順
準備段階
- スマホ、タブレット、PCを家の普段行かない、使わない、見えないところにしまう
- テレビも見ないように、コンセントを抜く、もしくはテレビを捨てる
- お気に入りのボールペン1本とポケットに入るサイズ(B6)のノート、お金を装備する
ルール
- 車、公共交通機関の使用はOK
- 車の場合、ナビは使わない
すること
- 準備段階で装備したものだけを持って外出する
- その時にやりたいと思ったことをする
- したことをノートに全て記録する(これからすることを先に仮おさえしてもOK)
- 何かの待ち時間や、空き時間、書きたいと思った時にはノートに今思っていることを書く(1ページが埋まるまで書いてください。10分〜20分で書けると思います。)
最低限スマホを家に置いて外出すれば十分だとは思いますが、自分の考えや行動を記録するためのノートは必須だと私は考えています。自分がしたことや考えたことは次の日には忘れているので。
今回の実践の中ではたくさんの発見がありました。その中でも私にとって印象深い発見をしたエピソードを二つ紹介します。一つは何も視聴せずに食事をする、もう一つはサウナに行こうとして遺跡に行くです。
あなたは食事をするときに何をお供にしていますか。テレビやYouTube、録画したドラマやアニメなど、何かしらのスクリーンを見ている方が多いのではないでしょうか。私は大抵YouTubeを見ています。最近はAudibleで「物語シリーズ(西尾維新 著)」を全て読破(聴破?)しようと、夜ご飯を食べている時にも聴いています。ご飯を食べるという人間にとって最も幸福を感じる行動に、YouTubeやテレビ、Audibleという極上の娯楽を重ねることでこの上ない充実感を得ることができます。
しかし、今回の私はそのダブルハピネスを封じられていたため、仕方なく目の前にあるご飯の映像と自分の咀嚼音だけを楽しみながら昼ごはんを食べました。ご飯しか楽しむものがないならと、かなり多めに昼ごはんを買って帰っていました。きんぴらごぼう、ポテトサラダ、チキンカツ丼、菓子パン(いちごスペシャル)、ヨーグルト、サバの味噌汁、納豆などフルコースもフルコースでした。しかし、納豆ときんぴらごぼうを食べたところで違和感を感じました。「もう結構お腹いっぱいになってきたな」と。続くサバの味噌汁をいただいた後に違和感は確信に変わりました。あろうことか、私は「ごちそうさま」をしたのです。ポテトサラダ、チキンカツ丼、いちごスペシャルを目の前にして。
ここで私が気づいたのは、普段私が享受していたのはダブルハピネスではなく、ハーフ&ハーフハピネスだったと言うことです。食事も物語シリーズも両方楽しめて2倍ハッピーだと勘違いしていました。実際は両方2分の1ずつしか楽しめていなかったのです。
マルチタスク(二つ以上の作業を同時並行で行うこと)をするときの脳も、同時に二つのことを処理しているわけではないと言われています。実際は高速でAのことをする脳とBのことをする脳の切り替えをしているに過ぎないのです。
したがって、今まで私は同じ量の満足を食べ物から得るために、2倍の量を食べていたと言うことになります。売る方は儲かりますが、私の体は喜んでいないでしょう。今回は食事だけに集中していたので、脳も食事に集中できたようで、不必要な分は食べなくてもよしと合理的な判断ができたのだと考えます。言うまでもなく、その日の睡眠の質と次の日の体調はバッチリでした。大きな発見でした。そして次の日から再びそのハーフ&ハーフハピネスを享受しているのですから、人類は愚かです。
二つ目はサウナに行こうとして遺跡に行った話です。今年から一緒に働くことになった後輩先生に誘われて私はサウナーに目覚めました。そして、この日初めて一人でサウナへ整いに行くことを決意しました。車で40分ほどかかる行きつけのサウナに行きました。スマホも持たず、誰からの連絡がくる心配もない中で自分のやりたいことをやっている、さながらRPGの主人公を操作しているような気持ちで車を運転していました。そして、目的地に到着しました。休館日でした。「スマホで調べることができてさえいれば!」そう思わざるを得ませんでした。しかし、現実は現実で変わらないので、私が動くしかありません。
このまま帰ってもしょうがないと思い、とりあえずきた道と反対方向に走ってみました。すると、聞いたことのある名前の遺跡の看板がありました。「することもないし行ってみるか」と私はその遺跡の駐車場へと進みました。これがこの課題のポイントです。「することがない」=時間と心のスペースです。少なくとも普段の私はサウナが休みだからといって遺跡に行こうなんて思いません。しかしこの日はその選択をすることができました。
そこはかなり広い遺跡公園のような場所で、雲ひとつない晴れの日だったので、子連れのファミリーが2、3組優雅な祝日を過ごしていました。公園をぐるっと歩き回り、ちょうどいいベンチを見つけたので、私はそこでノートを開きました。側から見たら若い詩人が歌でも詠みにきているのかと思われていたことでしょう。実際書いているのは、「第一木曜はサウナは休みだと今日は覚えた」みたいなことなのですが。とはいえ詩人とやっていることは大して変わらないので、詩人と思ってもらっても構いません。
鳥の鳴き声や虫の足音、草木の匂い、目に入る一帯の緑、目も耳も鼻も自然に占領されている状態で何か生産的なことをするわけでもなくしばらく時間を過ごしました。とてもいい気分でした。サウナくらい整いました。仕事のこととか、肌が少し荒れてきたこととかどうでも良く思えるくらい「今」が充実していると感じました。と言うより生きている限り、充実していない「今」なんてなくて、自分が充実していることに気づいているかどうかの違いなんだろうなとぼんやり思いました。
せっかく遺跡に来たのだからこの遺跡の何が重要なのかを少しは知って帰ろうと思い、併設されている博物館に足を運びました。440円の入館料を払いました。これも時間と心のスペースがなければ私は絶対しません。中には誰もいませんでした。受付の人さえもいないと思ったら奥の方からダッシュでお姉さんがやってきました。博物館側からしても予想外の来客だったようです。入ってすぐ分かりましたが、そこは教科書にも必ず出てくる2000年前の銅器が大量に出土した超重要スポットでした。
2000年前の人たちがなぜその銅器をそこに埋めたのはナゾのままらしいです。収穫がうまく行くように、てるてる坊主的なおまじないのような感じでその銅器は作られていたのだと思いますが、現代を生きる私にとっては理解不能でした。そんなものを作っても食べ物が増えるわけでもないですし。もしかしたらそれを分かった上で権力者たちは集団の指揮系統を維持するためにそういうフィクションを利用していたのかもしれないとも思いました。2000年後の人類も、化石になったiPhoneを見てこんなもの作って何がしたかっただろうと思うに違いありません。歴史の勉強の目的は現代を客観的に見られるようになることなのだろうと思いました。現代も歴史の中の一つの時代に過ぎず、私たちもいずれフィギュアになって博物館に飾られる人間の一人に過ぎないのかもしれません。そう考えると、小さなことで悩まずやりたいことやればいいじゃんという気分になりました。
まとめ
今回の課題の目的の一つは時間と心のスペースを空けることでした。インターネットは私たちが思っている以上に私たちの時間と心のスペースを埋め尽くしています。そのスペースを空けることで今まで本当はやりたかったけどできなかった意外なものがそこに入り込んできます。今回の私の場合は、食事だけをすることと、遺跡と博物館を楽しむことでした。これは人によって全く違うと思うのでぜひ実践してみてほしいです。
また、インターネットが脳に与える刺激は相当に強いです。超常刺激とも呼ばれていますが、インターネットに比べると遺跡での散歩や日記、博物館で得られる刺激は魅力的に見えません。そういった刺激も楽しめると知るためにも「インターネットを一日断つ」のは有効です。刺激への抵抗力を弱めるというか、感受性を豊かにすることにつながります。そうすることで日常の中にある実は楽しいことが見つかるはずです。
しかし、二つ目の目的であるインターネットとの付き合い方を見直すというのも重要です。このブログだってインターネットがなければ、私の独り言になってしまします。インターネットがなければサウナが休みかどうかを調べることもできません。現代を生きる上でインターネットは使いこなしていくべきものだと私は考えます。ただし、客観的にインターネットがどういうものなのかを見つめ直すためにも定期的に距離をとっていくことも必要なことです。
次回の課題:自然の中でゆっくり過ごす時間を持つ
次回で「夢をかなえるゾウ0」の課題も折り返し地点になります。読んでくださっている皆さんに感謝をしつつこれからも続けていきたいと思います。おそらく、「0」の課題が終わったら「1」から「4」まで順番に全ての課題をやっていくのだと思っています。2年くらいかかりますが、多分やると思います。
次回は自分を見つめ直す系の課題になりそうです。私の経済力でユングのように別荘を買うことはできないので、今回の課題で行った遺跡の公園には行く事になりそうです。その他にもゆっくりできそうな自然を探してみようと思います。今週も頑張りましょう!
コメント
おはようございます。
今回も楽しく拝読させていただきました。
「インターネットにコントロールされながら幸せになるのは難しい。」
確かに,自分が大学生の時は完全にインターネットにコントロールされていた毎日を過ごしていたなと思います。なんなら今もコントロールされています。
インターネットをコントロールできるようになって,自分が「幸せだと感じる刺激」を調整することが大切なんだとブログを読んで感じました。
普段自分がダブルハピネスだと思っていたことが,ハーフ&ハーフハピネスだったというのも,素晴らしい気づきだと思います(何様)。シングルハピネスにする日とハーフ&ハーフハピネスにする日を自分でコントロールできると,刺激の差が生まれてどちらの日にも価値を見出すことができるかもしれませんね。
まかばくすさんがおっしゃる通り,インターネットが脳に与える刺激は相当に強いと思います。インターネットが今ほど普及しておらず,ゲームボーイアドバンスSPでケーブルを繋いで友達とポケモンバトルをしていたあの頃から比べると,どれだけ人類は幸せになっているんだと思いますが,実際のところどうなんでしょう。
幸せになるために足りないものを足していく感覚から抜け出さなければいけないと,今回のブログを読んで感じました。インターネットによって得られる刺激で幸せになれると無意識のうちに勘違いをし,常にYouTubeやアマゾンで幸せを補っている気持ちなっていましたが,その刺激の多さに慣れてしまい,幸せに感じていないのが今の自分です。
今回のまかばくすさんのようにあえてインターネットを断つ日を作り,「インターネットによる刺激がないという刺激」を自分に与えることで日常に別の楽しみを見出すことができる。それを自分で正しくコントロールすることができれば,幸せを感じ方も変わり,「長期の欲求」にも向き合うことができるようになると学びました。
今回もとても勉強になりました。
今週も頑張りましょう。
ゆきっちょさん
いつもありがとうございます。
ゲームボーイアドバンスSPと通信ケーブルは懐かし過ぎます。
今やケーブルがなくてもフーディンやゲンガーを手に入れることができるというのは確かに相当幸せですね。
「幸せになるために足りないものを足していく感覚から抜け出す」というのは私も思っていることなので、そう感じていただけたのは嬉しいです。
自分に与える刺激を自分でコントロールできるようになると長期の欲求にも目を向けることができるというのはその通りだと私も思います。
いつも私の長文を軽快に要約していただいて助かっています。
今週も頑張りましょう。